義父を殺し、飛び降り自殺した母 遺書には「世の中捨てたものではない」と……壮絶な過去を持つ俳優に映画監督・石井裕也が贈った言葉(レビュー)
義父を殺し、飛び降り自殺した母 遺書には「世の中捨てたものではない」と……壮絶な過去を持つ俳優に映画監督・石井裕也が贈った言葉(レビュー)
4/19(水) 6:00配信
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Book Bang
前田勝さん
なぜ母は義父を殺して死んだのか? ひとり残された息子が事件の経緯と母親への思いを綴ったノンフィクション『遠い家族―母はなぜ無理心中を図ったのか―』(新潮社)が刊行された。
この壮絶な手記を綴ったのは俳優の前田勝さんだ。前田さんは韓国人の母と台湾人の父の下、韓国で生まれ、趙勝均(チョ・スンギュン)と名づけられた。物心つくころに両親は離婚。韓国、台湾を経て、12歳の時に日本人と再婚した母に呼ばれて来日するも、大学入学直前に母が無理心中を図った。
その後、舞台俳優となった前田さんは、客演の傍ら劇団を主宰し、母と事件を描いた舞台を上演。2018年にはドキュメンタリー番組「ザ・ノンフィクション」(フジテレビ系)に出演し、事件の謎を解くため、母の知人や親戚を訪ね、音信不通になっていた実父を探す旅に出た。その模様は大きな反響を呼び、同番組の放送時点での年間最高視聴率を更新した。
事件までの日々と、「ザ・ノンフィクション」での取材過程等を前田さん自身が赤裸々に綴った手記に書評を寄せたのが、映画監督の石井裕也さんだ。映画「茜色に焼かれる」で前田さんを起用した石井監督は、壮絶な半生に何を思ったのか?
石井裕也・評「母親への愛を静かに叫ぶ剥き出しの魂の軌跡」
息子の立場から言わせてもらえば、母は時に化け物じみて見える。たじろぎ、戦慄さえさせられる。この本に登場する母も然りだ。
夫を殺し、自らもマンションから飛び降りて自殺していながら、その後に見つかった遺書には「世の中捨てたものではない」と息子への精一杯のエールが書かれていた。愛する我が子を含めた一切合切を捨てておきながら「世の中捨てたものではない」と堂々と遺書に書けるのは、一つの生命体の中に途方もない矛盾が内包されているからに相違ない。息子には到底理解できないほどの激しい愛情が矛盾を生み、その姿が時に化け物じみて見えるのだ。でも多分、当の母自身は自己の中に少しの矛盾も感じていないのだろう。
これは小説ではない。自叙伝なのか何なのか。母親の勝手なのか愛なのか、ワケが分からないまま、いや何かの縁に導かれるようにして三ヵ国を渡り歩いてきた、今はまだ何者でもない男の半生が書かれた本。ウケようというスケベ心も虚栄もないのでまるで飾り気はなく、ただただ平易な言葉で母親への愛を静かに叫び続ける。また同時に自分が生きていることの事実を静かに祝福しようとし続ける。作者の名前は前田勝であり趙勝均で、韓国と台湾の血を引いていながら日本で生きていく決意をした人物だが、この本に書かれている叫びは名前や出自の特殊性からくるものではなく、むしろ普遍的根源的なものだと思う。プライマル・スクリームという原初療法によってジョン・レノンが亡くなった母親への思慕を痛切に歌った「Mother」という曲に印象はとても近い。
本書全体に込められた前田勝さんの剥き出しの魂の叫びは、理屈を超えて激しく私の心を打った。作者は叫ぶことによって自分が生きていることを証明しようとしている。母と対決し、ここで決着をつけなければ彼はこの先を生きていけないのだ。百回頁を繰る頃に涙する本はこれまでいくつもあったが、最初の数頁から涙したのは今回の読書体験が初めてだったかもしれない。なにせ冒頭からエンジン全開で叫んでいるのだから。商業という観点から見ればカットしてもいいだろうと思われるエピソードがないこともないが、それらを適当に安易に省かなかったことで作者の生真面目な人柄と彼の苦悩の連続性が手に取るように分かった。
作者の存在を知ったのは二〇一八年に放送された『ザ・ノンフィクション』というテレビ番組だった。映画監督という仕事をしているが故に、私は日常的に俳優の顔を探してしまう。顔とはとり返しのつかない内面の露出。そう言ったのは誰だったか。とにかく顔面にはその人の人生の痕跡がくっきりと刻み込まれるものだ。作者は、まさしく私が求める俳優の顔だった。自らの存在を純粋に疑い尽くしている顔。所在なさげにずっと困り続けているような顔。滅多には見つけられない特殊な相貌をしていた。この人に自分の映画に出演してもらいたいとすぐに思ったが、きっともうオファーがたくさんきているだろうと躊躇した。
それから二年後、コロナ禍で迎えた最初の夏。私は母を題材にした映画を撮ることにした。実は私の母は三十六歳で病死していて、私はその喪失の埋め合わせの手立てを三十年間獲得できずに苦しんでいた。それでも私の喪失は、私自身が母の年齢を超えたことで少しばかり変化してきた。母に真っ直ぐ向き合うことはとても怖かったが、今こそ対決の時だという確信があったのだ。今度は躊躇なく前田勝さんに連絡を取り、出演のオファーをした。彼の喪失が生み出すエネルギーが必要だと感じたのだ。
この本を読む限り、作者が俳優を志したきっかけに劇的な要素は皆無だ。作者にスケベ心があればこのあたりを丹念に描いて業界への名刺代わりとするだろうが、彼にそんな下心は微塵もない。
それでも私は確信する。作者が俳優になったのはもはや運命であり、本書において母との決着をつけた彼のこの後の人生は、俳優としての自分との決着に向かうことになるだろうと。本稿冒頭で作者を「今はまだ何者でもない」と形容したのは、職業俳優として未だ成功していない彼を見下しているわけでもなければ侮辱しているわけでもない。私は俳優としての彼を全面的に信頼し、信用している。今はまだ何者でもないどころか、彼はこれからもずっと何者でもないはずだ。本書は、その現実の全てを彼が引き受けた宣言文でもあると私は考える。何者でもないから何者でもある。つまり、彼は俳優としていよいよ新しい世界へと打って出る覚悟を決めたのだ。私はそのことに気づき、また涙した。表現というものの紛れもない真髄がこの本にはある。「ぼくを見て!」という幼少期の叫びが無事に叶えられ、優しく母に抱きしめられた人間は、きっと表現の道を志さない。前田勝さんのこれからの人生は、これまで以上に劇的なものになると私は気楽に夢想する。それは彼の運命。
[レビュアー]石井裕也(映画監督)
1983年生まれ、埼玉県出身。大阪芸術大学の卒業制作『剥き出しにっぽん』(05)でPFFアワードグランプリを受賞。24歳でアジア・フィルム・アワード第1回エドワード・ヤン記念アジア新人監督大賞を受賞。商業映画デビューとなった『川の底からこんにちは』(10)がベルリン国際映画祭に正式招待され、モントリオール・ファンタジア映画祭で最優秀作品賞、ブルーリボン監督賞を史上最年少で受賞した。2013年の『舟を編む』では第37回日本アカデミー賞にて、最優秀作品賞、最優秀監督賞を受賞、また米アカデミー賞の外国語映画賞の日本代表に史上最年少で選出される。『ぼくたちの家族』(14)、『バンクーバーの朝日』(14)などで高い評価を獲得し、第67回ベルリン国際映画祭フォーラム部門に出品された『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』(17)では多くの映画賞で作品賞や監督賞を受賞し、第91回キネマ旬報ベストテンでは、日本映画ベスト・テン第1位を獲得するなど国内の映画賞を席捲した。近年も『町田くんの世界』(19)、『生きちゃった』(20)などコンスタントに作品を発表し続け、公開待機作に、初めて韓国の映画スタッフとチームを組んで制作された映画『アジアの天使』(21)がある。
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